2年次に「RSL-ローカル(陸前高田)」を受講しており、自ら問いを立てて社会や地域について学びを深める実践系科目の面白さを実感していた。履修に先立ったのは、「なにが人を苦しめるのか」という単純な疑問があったからだ。
2011年の東日本大震災、当時大きな揺れを経験したものの、私にとって東北の被害は非現実的で、ただ単に「どこか遠くで知らない人がたくさん死んだ」だけだった。いつしか、放射能汚染を気にして福島産の野菜を買わなかったり、原発反対の張り紙やデモを見かけたりするのが当たり前になっていた。
しかし、岩手県陸前高田市を訪れて、震災発生から6年が経過してもなお、被災者と呼ばれる人々が苦しみ続けていると身を以て知ることになる。街の繁華街があった一帯は、山から削り出された土砂で嵩上げが行われている最中で、復興はおろか復旧すらままならない状況であった。防潮堤の建設も、土地所有権を巡って難航している。
一連の学習の中で特に印象的だったのは、罹災して仮設住宅で生活している高齢者の方から聴いた話だ。そのほとんどが生まれ育った家、土地を無くした方達だったが、中には目の前で家族を失った方もいた。
彼らの強張った表情と声色に「震災はまだ終わっていなかったのだ」と実感し、同時に、地域の防災機能を高める必要性と、それに必要な要素は何かを自分で考え始めるようになった。様々な語りを聴き続ける中で、自分にとって関係がない、他人事だと考えていた事件や事故が自分事となって現実味を増した。また、被害の規模や質、被害を受けた人々は様々だが、その多くに共通して地域が抱える少子高齢化や行政や自治体の経済状況、国からの保障など、複合的な課題が被害を複雑化、同時に深刻化させていることに少しずつ気づくようになっていった。
【写真1】「RSL-ローカル(陸前高田)」(2017年度)現地活動の様子。右側に見えるのが嵩上げされた場所。現地の方からは、津波対策のため、この盛土の上に建物が立つのだと説明を受けた。
同じ年の秋には、1954年にアメリカの水爆実験により被ばくしたことで知られている第五福竜丸に関するフィールドワークを行い、当時の船員だった大石又七さんにインタビューを行った。大石さんは、自身の経験を著述し、80歳を過ぎた現在でも各地で語り部として活動している。「何があなたを衝き動かすのか」という問いに対する、「死んでいった仲間の尊厳を取り戻す為、怒りが私を行動させている」との答えに圧倒された。50年以上前の事件が解決していない現在において、発生から 10年にも満たない震災の復興が完遂するはずはない。自分が考えるべきは、「将来発生し得る被害をいかに抑えるか」ではないか。この想いを抱いた 3年次の秋、RSLセンターが新しい科目を開設した。それが、私が生まれ育った池袋をフィールドにした「RSL-コミュニティ(池袋)」(以下、「RSL池袋」とする)だった。