(1)コミュニティワーク~2人の“お母さん”との出会いから学んだこと~
コミュニティワークでの戸惑いと信頼関係
私が参加したコミュニティでは、貧困に悩む地域の人たちと洗剤を作って実際に売買するというビジネスの流れを体感するワークを行いました。7日間という限られた時間の中で、そもそもなぜ洗剤の使用が大切なのかといったところからはじめ、地域の人たちの家計・生活状況を聞いた上で一番適した洗剤や価格等を一緒に考え、洗剤を製造し実際に販売する、というプロセスで行いました。
【写真1】作った洗剤を持ち寄ったペットボトルに詰めるところ時間の関係上、ラベルを張って一緒に売ることはかなわなかったが、フェイスブックの投稿によると、ワークで決めた値段で、サリサリ(小売店)や家先で販売したという。
スムーズに活動を行うため、学生たちで毎日アイスブレイクを最初に行いました。日本人学生の担当日は折り紙、韓国の学生の日はホウセンカ染め(マニキュアのようなもの)、フィリピンの学生の日はフィリピンで大人気のダンスや歌を一緒に行い、私たち学生と地域の人たちが打ち解けながら、図らずも異文化交流をすることができました。
【写真2】アイスブレイクの様子。フィリピンで人気のダンスを踊っている。
その後は、学生一人が一人のコミュニティの“お母さん”(コミュニティワークは母親や孫を持つおばあさんと行ったため、タガログ語でお母さんを意味する “nanay(ナナイ)”と呼んでいました)を担当する形でインタビューなどを行いました。
しかし、洗剤をよりニーズに沿ったものにするために、“お母さん”に、日本人同士の会話では聞かないような年収や困っていることなどを聞く必要があり、ためらってしまった私は言語の壁も相まってなかなかコミュニケーションをとることができませんでした。
その結果、“お母さん”がインタビュー中に現地の言葉でおしゃべりして無関心になってしまい、とても悲しかったし悔しかったです。そこで、コミュニティワークの午後に行われる振り返りで“お母さん”とワークが続けられない理由を考えてみたところ、自分の英語運用能力や勇気だけでなく、現地の“お母さん”にどうワークに沿ったことを話しかければよいのか、年収等のセンシティブな内容を聞いてよいのだろうかといった不安が問題であると思われたため、目標・目的を見直して、自分はどうしたいのか、どのように携わりたいのかを見つめなおしました。
そして、「将来、現地の人たちに根差した形で国際協力に携わりたい」から、「せっかく7日間一緒に過ごさせていただく “お母さん”に、もっといろんなお話を聞きたい、仲良くなりたい」と思った私は、英語が堪能なフィリピンの学生に通訳してもらったり、他のメンバーからアドバイスをもらって筆談を取り入れ、まずは“お母さん”とのコミュニケーションを自信を持って取り組むことができるように工夫しました。
【写真3】”お母さん”にインタビューしているところ。英語を理解できなかったためお母さんが代筆してくれている。
また、“お母さん”に質問するだけではなく、私たちの活動に対するアドバイスやこれまでの人生の話を聞きたいと思い、「今聞かなかったら後で後悔する!」と積極的に話を深めるように心がけました。そうするうちに、夫が亡くなった後、9人の子どもたちの子育てについての苦労話、弁護士や経営者になった子どもたちの支援なくしては生活が成り立たないという話、洪水で“お母さん”の家が水没してしまったため教会に避難し、復興に多くの時間がかかったという話もしてくれるようになりました。
“お母さん”の激動の人生のお話を聞かせてもらった後、“Are you happy?”という私からの質問に対して、「何も不安や危険があるわけではないから、私は幸せよ。」と答えてくれた時の言葉は、コミュニティの多様性と厳しさの中で力強く生きる、自分にも他人にも厳しいが思いやりのある“お母さん”の私に対する人生のアドバイスだったのではないかと感じています。7日間のコミュニティワーク最終日、“お母さん”が「元気でね、また戻ってきてね」と毎日つけていたブレスレットと電話番号を渡してくれた時は、“お母さん”と信頼関係を築けた嬉しさとお別れの悲しさでいっぱいでした。
“お母さん”と築けた信頼関係は、国際協力で様々な人と信頼関係を築いたうえで本当に求められていることを見つけて行動するという、「与えられるだけでなく与える」重要性を実感できたという点で、目標2の「自分のやりたい国際協力とその可能性を考える道標にする」の一つ目の要素を見つけることにつながりました。
誰一人残さないサービスラーニング
私は、担当の“お母さん”以外にも話しかけることを心がけていました。7日間という限られたコミュニティワークで、少しでも現地の“お母さん”達のことを知りたい、仲良くなりたいという思いがあったからです。
実際に活動中、自分の担当ではありませんが、ある“お母さん”と仲良くなることができました。彼女は病気で動き回るワークに参加できず、いつもつまらなそうでしたが、バレンタインデーに愛について語りあうアクティビティを実施した時に彼女とペアを組むことになりました。コミュニティの中でも特に貧しく、これまで家族との死別や貧困、病気など多くの苦労をしてきた彼女は、表情を暗くして話すことが多かったのですが、好きな歌を問うと表情が明るくなり、たくさんの曲を歌って教えてくれました。
この時のことから、彼女はアクティビティに参加したり話したりしたいが、それができなくて寂しいのではないかと考え、私は積極的に話しかけたり、今何をしているか話したり、席をずらしてワークの様子が見えやすいようにしたりと少しずつ彼女がこのワークに参加できるように働きかけました。
そのおかげかはわかりませんが、彼女自身からワークにもっと参加したいと身を乗り出したり、彼女から私に話しかけてくれたりするようになりました。コミュニティワーク最終日、担当の“お母さん”だけでなく、彼女にもメッセージカードを作ってこっそり渡したのですが、私を抱き寄せてあふれんばかりの笑顔で何度もありがとうと言ってくれたときは、最初は寂しそうだった彼女に喜んでもらえて、素敵な笑顔を見ることができて、本当に嬉しかったと同時に、どんな相手にも先入観をなるべく持たず、相手を思いやりながら丁寧に接することがとても大切であるということに気づくことができました。
【写真4】コミュニティワーク2日目にあったバレンタインの企画でたまたま”お母さん”とペアを組むことになり、初めてお話しした時の様子。
このサービスラーニングは、キリスト教の精神に基づいて行われていましたが、私は相互奉仕のようなものであったと考えます。なぜなら、一方通行の奉仕は上下関係やおごりを引き起こしかねませんが、相互奉仕は、互いに学びあう、認め合う、助け合ってこそ成り立つものであり、このサービスラーニングもそのようなものであったからです。そして、この相互奉仕は「先進国の一方的な支援」ではない、草の根にいる人々も国際協力のアクターも求めるあり方ではないかと考えるようになりました。
コミュニティの外に出て
コミュニティワークの最終日に、外に出てお世話になった“お母さん”方のお宅を訪問しました。中華系の私立学校に通う子供と学校に通わず路上で遊ぶ子ども、笑顔で食堂やサリサリ(小売店)を経営する夫婦、ぼろ布をまとい、険しい目つきで私たちについてきた親子、二階建ての家と狭く汚い路地にひしめき合う家とさらにその隙間に廃材の屋根を付けただけの家…。私はそれまで、コミュニティの人たちは共通して貧しいのではないかと思っていましたが、コミュニティ内ですら大きな格差が存在していることを知りました。お邪魔した家は狭くて昼間も暗く、あまり清潔な環境ではありませんでしたが、おうちの人はみな笑顔で、「息子が大学で工学を学んでいるのよ」と嬉しそうに話しており、日々に追われて生きる日本人よりも生き生きしていて、それぞれの人生をそれぞれなりに楽しんでいると気づきました。この体験から、私が「貧困=つらい、苦しい、のでは?」という既成概念をもっていたことに気づき、「どう生きるか、どんな気持ちで生きるかが大事!」であると思うことができ、目標3の「自分が持つ「当たり前」や先入観といった概念を持たない」はできていなかった一方で、「当たり前」や先入観を「一度壊す」ことができました。
(2)チームワーク
私は、英語に精通しているわけでも、K-POPなどの共通の話題があるわけでも、明るい性格でもないため、なかなかチームの話の輪に入れず、学生同士で過ごすときは一人で過ごしてしまいがちでした。特に、私が所属したチームはみんなを率いることが上手なリーダーに頼りがちで、そのことを誰にも相談せず悩んでいました。
やがてリーダーも疲れてチームを放任するようになり、そのとき初めてみんなでどうするか本気で話し合うようになりましたが、私は最初に述べた理由から引け目を感じ、あまり話し合いに参加できませんでした。
しかし、「そんな私でもチームの一員には変わりはないし、チームの危機で何もしないのは無責任だ」と気持ちを切り替え、今までは皆の意見に同意するだけで口にしてこなかった考えや思いも勇気を出して話すようにしました。結果としては、意見の衝突や相次ぐ計画の変更、長い話し合いなどの疲労もあり、私のチームのどの活動も本番は成功したとは言えないものになっていたと思います。
しかし、みんなでやり切ったという思いが強く、失敗したあとも “We did our best, so it’s great!”といえるまでになっていて、それまで感じていた自分の疎外感はほとんど消えていました。
用心深く、なかなか信頼して他の学生に話しかけられなかった私でしたが、そのような引け目から自分の心に壁を作ってしまいがちであったと気づきました。そして、チームでの活動は、誰かひとりがリーダーシップを発揮するものではなく、お互い信頼しあって対等にやっていくことが理想ではないかと思うようになりました。
目標1の「コミュニティの人々や学生たちとたくさんふれ合い、様々なことを吸収する」は、特にチームワークにおいて達成できたとともに、今後も継続する私自身の課題となりました。