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池袋キャンパスにおいて、春季人権週間プログラム講演会『ここからセクハラ!アウトがわからない男、もう我慢できない女』を開催しました。講師に大阪大学大学院教授 牟田和恵氏をお招きし、セクハラの正しい常識や大学でのハラスメント対応などについてお話を伺いました。

日時2019年7月13日(土) 14:00-16:00
会場立教大学池袋キャンパス14号館2階D201教室
講師牟田 和恵 氏
(大阪大学大学院教授/社会学者)
参加者本学学生、教職員、一般
合計72名
講演内容欧米で「セクシュアル・ハラスメント」という概念が現れたのはさほど昔ではなく、日本では「性的嫌がらせ」と訳され、日本で初めてこの「性的嫌がらせ」に関する訴訟が行われた1989年には、「セクシュアル・ハラスメント」がこの年の流行語大賞を取り、「セクハラ」という言葉が広がった。1999年には男女雇用均等法が改正され「事業主の防止(配慮)義務」となったのは、20年も前に遡るが、未だにセクハラは蔓延(はびこ)っているのはなぜか。牟田先生はこの問いへの答えをこう話している。
 第1に、強要していないなら許されるという誤った常識がある。しかし、偉い人が加害者だったとき、弱い立場の被害者はとても「ノー」と言えないのである。第2に、「好色な悪漢」に見えない、紳士的な男性が加害をしている場合、混乱するということ。第3に、露骨なわいせつ行為でなければセクハラではないという誤解。たいしたことではない、という甘えがある。つまり、加害者だけでなく、被害者や周囲の人々もセクハラを許容しやすい社会構造や常識が変わっていないということ。これを「ビルトインされた鈍感さ」と、牟田先生は批判している。
 大学キャンパスの問題も、牟田先生は「ハラスメント問題が写し出す大学の病」(『現代思想』、2014年)という論文で指摘している。立教大学は、人権・ハラスメント対策センターやジェンダー・フォーラムを中心に、各部署も協力してセクシュアル・ハラスメントに取り組んでいることに対し、牟田先生は、もっともっと努力できると激励された。
 セクハラは、人間が互いに尊重して共同生活を営めるかという、人間社会の根本問題に関わることである。「セクシュアル・ハラスメント」という外来語はわかりにくい。仮に「心身に嫌なことをしないで」と言いかえると、もう少し身近になるかもしれない。つま先を踏まれたら痛いし、「止めて」と言う。「痛い」と叫ぶ人が横にいれば、隣の人は助けようとする。そういう人間としての気づきと助け合いが大事だと示唆する現代の言葉の一つが「セクハラ」ではないかと考えられるのである。
 「ハラスメント」も、「いじめ」と言いかえたらどうだろうか。レイプは極限の性暴力だが、そこまでいかなくても、あらゆる性的ないじめは残酷な犯罪である。しかも、弱い立場の人々がいじめられやすい。上司に対する部下、先生を前にした学生、日本に暮らす外国籍の人々や留学生。セクハラのない大学とは、いじめのないキャンパスなのである。
来場者の声
  • セクハラが自分の進路やキャリアにも影響するという点が印象に残った。軽微なものであっても、その人の人生に大きく関わることであるということを男女関係なく意識しなければならないと感じた。
  • 時々、ユーモアを交えながら真摯に取り組まれているご様子が伺え、牟田先生のセクハラに対する強い信念を感じることができました。エンパワーメント・公正さなど、忘れずに心に留めておきたいと思いました。
  • ハラスメント被害以上に職業上被害(就労環境の侵害)が深刻であること、事実調査よりも救済保全(環境の改善・復旧)の重要性を改めて理解できました。
  • 自分は「セクハラ」についてはよくわかっているつもりだったが、まったく認識が現実に沿っていなかったことがよくわかった。同時に自分自身が経験してきたいくつかのこともまた、やっぱりセクハラだったのだと確信した。自分の過去の経験について今から何かをする気はないが、今後、自分のみならず周りの人たちにもより気を配っていきたいと思う。被害を黙殺しないように、また自分もハラッサーにならないように。
  • セクハラが蔓延している背景として、日本社会の構造的問題が深く関係していると感じた。上司と部下、教授と学生といった立場上の力関係、男女の認識のギャップ、ハラスメント対応の不備といったことが原因で、更なる2次的被害を生んだり、言い出せない被害者側が泣き寝入りするといった例がこれまで五万とあったと思う。相手の内心を虜ることが重要だと感じた。
  • 「セクハラの誤解」や「男女の認識の差」という問題によって、セクハラという語が浸透している今でもそうした行為がなくならないのだということがわかった。社会的地位にとらわれず、女性は声をあげることが大切だと思った。
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牟田 和恵氏

 

class="text-center"講演会場の様子