「自由の学府」で飛躍を!
立教大学 学生部長 中澤 渉(社会学部教授)
立教大学への入学、おめでとうございます。皆さんは、これから始まる大学生活への期待に胸を膨らませているでしょうか。
立教大学は「自由の学府」とよばれます。この「自由」には、様々な意味が付与されています。高校までと異なり、大学では自分で物事を決定できる範囲が飛躍的に拡大します。しかし自由の行使には、一定の見識が必要であり、また責任も伴います。さらに、同様の自由を他者も持っていることを理解しなければなりません。つまり自由は、自律性と他者の尊重が基盤となっています。
こうした自由は、長い人類史の中でいつの間についてきたのではなく、近代に入り人々が勝ち取ってきた権利です。しかしそれが人々の間に遍く浸透すると当たり前のものとなり、かえって「自分で決めなければならない」と、自由を負担に感じる人もいるようです。
ところで、近年、学校教育の成果をデータで示すことや、教育によって将来の職業に直結する知識や技能を身につけさせるべきだという要求が強まっています。自分の将来を考えるキャリア教育も盛んです。実際、そうした時代の流れに沿った改革が進められています。
私は教育や社会的不平等について、統計的な手法で分析しています。その専門の立場からみると、確かにその流れを完全には否定できないものの、教育によって学んだ成果を何でもデータ化できるのかという疑問を抱きます。また「自由の学府」で重視されるリベラルアーツは、狭い分野にとどまらない総合知であり、効率性とか、有用性とか、学習成果の測定という概念に必ずしもなじみません。むしろ異なる考え方を持つ他者と切磋琢磨し、また試行錯誤しながら体得していくものです。
社会での規範、常識、価値観はどんどん変化しています。今必要とされるのは、そうした変化に柔軟に対応できる適応力を備えた人物です。即効性のある知識を吸収するのが効率的に見えますが、そうした知識は廃れるのも早いです。時代が変わっても活躍できる人は、広く好奇心を持ち、多くの人と出会い、さまざまな経験を重ね、仮に失敗があっても内省し次のチャンスに活かそうという謙虚な姿勢をもっているように思います。この姿勢は、リベラルアーツを学ぶ姿勢に通じるものがあります。そして立教大学には、そうした出会いのチャンスがたくさん存在します。そのチャンスを活かすかどうかは、皆さん自身にかかっているのです。
「周囲が皆大学に行くから」とか、「進学するように言われたから」という理由で大学に来た、という人もいるかもしれません。そういった人は、自由と言われても戸惑うかもしれません。しかし誰かが何かしてくれるだろうという姿勢では、大学で得るものは限られます。逆に主体性があれば、いくらでも自分の力を伸ばせるのが大学生活です。この姿勢の違いは、4年後大きな差となって現れます。
立教大学には、先輩方の努力や実績により、素晴らしい教育・学習・研究環境が備わっています。そのチャンスを、是非、自分のものとしてください。われわれ教職員も、皆さんの前向きに取り組む姿勢をできる限りサポートしていきます。
学生部は、学生生活支援、課外活動、年間行事のサポート、生活指導・相談の4つの柱のもとで、皆さんの生活をお手伝いします。学生部教職員一同、皆さんの来訪を歓迎しています。皆さんの大学生活が、実り多きものとなることを願っています。